2006年12月10日

◆ 「明治丸ヒストリー」【9】 by Qたろー ◆

「明治丸、陸にあがる」

昭和27(1952)年7月、1年間腰掛けていた泥水の中から
引き上げられ、やっと船としての尊厳を取りもどした<明治丸>。
しかし長期間の放置による傷跡は癒えず、すでに係留練習船とし
ての使用には耐えられない状態になっていました。

wood deck Meijimaru.jpg
痛んで穴のあいたオリジナルの木甲板(現在は合成樹脂)
資料提供/東京海洋大学


その頃東京都は、江東区地域でのたび重なる台風被害に対処する
ため、防潮堤の建設を計画。必然的に<明治丸>が浮かんでいた
ポンド(校池)の水門は閉め切られ 、川に沿って建てられた3
メートルの塀が<明治丸>を海(川)から引き離します。

折りしも大学では「東京商船大学85周年記念事業」が進行中で
したが、これを機に大学は<明治丸>を陸上に「記念船」として
固定し、永久保存することを決定します。いよいよ<明治丸>が
陸にあがる時がやってきました。
ちょうど東京では、あちこちで地下鉄工事が行なわれており、
この掘削工事で出た残土を大学にはこんで、ポンドの埋め立てが
行なわれました。総埋め立て面積は、2,693坪!ちなみに、
この時の土砂の埋め立て費用はタダ!!残土は、捨てるのも費用
がかかりますから、まさに「捨てる神あれば拾う神あり」だった
わけですね。

enterrada Meijimaru.jpg
埋め立て工事中の<明治丸> 資料提供/東京海洋大学


「船乗りたちの母の姿で」

歴史のある船を復元、補修する場合、よく物議をかもすのが「い
つの時代の、どの状態の形に復元するのか」ということ。
現役で活躍する船は、航海中つねにメンテナンスを必要としま
す。使いにくい部位や破損箇所などは「使う人にとってより便
利な」ように随時改修され、必然的に建造時の状態からかけ離
れていくこともしばしば。

<明治丸>の復元・保存が決まったときも、問題となったのは
まず「どの時代の形状に復元するのか」ということでした。
すなわちグラスゴーのネイピア造船所から出てきた「生まれた
ままの姿」(2檣トプスルスクーナー)か、灯台巡視船として
活躍していた時代の形(明治25年操舵室などを改修)か、
それとも戦前の係留練習船だったころの状態(3檣シップ)に
戻すのかということ。

けっきょく昭和20(1945)年、進駐軍に接収されるまでの
50年間、シップ型の係留練習船として船乗りの育成に貢献した
キャリアが重視され、明治31(1898)年当時の姿に復元、
整備する、という基本方針がたてられることになりました。
<明治丸>は、永久に船乗りたちの「母」の姿で保存されること
になったのです***

Meijimaru 喫水マーク.jpg
現在の<明治丸>喫水線マーク 写真提供/Gingaさんm(_ _)m


次回は最終回。「殿堂入りした明治丸」。そしてこれからの保存
について、です。
posted by SaltyFriends通信 at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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