2006年08月10日

◆ <明治丸>ヒストリー《6》 By Qたろー ◆

《災害、戦禍に耐えて》

<明治丸>の完工は1874年。つまり今年で御歳132歳になる
わけですが、これだけ長い人生(船生?)を生きてきただけあって、
何度も台風による被害や震災、そして戦禍をこうむっています。

明治34(1901)年、東京都江東区越中島の「東京商船大学」
(現在の東京海洋大学)新キャンパス内のポンド(校池)にお引越
しした<明治丸>ですが、その10年後の明治44(1911)年
7月と大正6(1917)年9月、関東地方をおそった猛台風によ
る高潮で2回とも錨鎖が切れ、校庭に乗りあげてしまいます。

wrecked Meijimaru.jpgwrecked Meijimaru 2.jpg
台風による被害状況 左:明治44年 右:大正6年 ぐちゃぐちゃです…
(資料提供/東京海洋大学)


「東京商船大学」発行の「明治丸史」では、大正6年の台風襲来の
様子を「午前3時ごろ、ポンドの水位はついに陸上と同一面に達し
<明治丸>のバウスプリット(第一斜檣:船首前方斜めにつき出て
いるマスト)他、何本もマストやヤード(帆桁)が折れる。
校庭は一面ドロ沼と化し、ついに係留錨鎖も切断。校庭に吹きよせ
られた<明治丸>は、そのまま石垣の上に取りのこされる」と
伝えています。

この時推測された最高水位は、ポンド最大満潮時の水面を超えるこ
と2メートル40センチ!明治34年の台風でも、深川近辺で40
名の方がお亡くなりになっており、双方の被害のすさまじさを
物語っています。

《マグニチュード7.8、7.3、7.2 そして焼夷弾》

今では「防災の日」となっている9月1日。大正12(1923)
年のその日に<明治丸>をおそったのは関東大震災でした。
正午に起こった3度の大地震で、建物はことごとく崩壊。大きな
火災もつぎつぎと発生し、大学の校舎も全焼。この震災で亡くな
られた方々は、なんと10万5千人余と言われています。

その惨事のなか<明治丸>は、避難場所として600名もの付近
住民を収容しました。燃えさかる校舎から、雨のように火の粉が降
りそそぐなか、大学関係者と避難した住民が海水をバケツリレー。
文字通り命をかけた防火活動によって、なんとか<明治丸>は類焼
をまぬがれたのでした。

monolith Meijimaru.JPG
<明治丸>船首前方にある東京大空襲の記念碑


そして第二次世界大戦末期の東京大空襲。いわずと知れた昭和20
(1945)年3月10日、米軍のB29からおとされた焼夷弾に
よって、東京はまたもや火の海に。
ふたたび大学関係者や、構内に避難した付近住民、学生のみなさん
による必死の防火活動によって、<明治丸>は辛くも火の手をのが
れます。このとき空襲を経験された方の手記によると、焼け野原に
なった東京から、なんと宮城が見えたとか!

こうして色々調べながら書いていると、我々がリフィットボラとし
て関わっている<明治丸>が、いかにたび重なる天災、人災を乗り
越え、そしていかに多くの人の手によって守られてきた貴重な財産
であるかが、ヒシヒシと実感されます。「重要文化財」に指定され
ているのもうなづけますね。
一つのものを保存し続けるということは、奇跡に近い幸運と、もの
すごい人間のエネルギーが必要なのかもしれません・・・。


次回は、奇跡的に災害は免れたものの、米軍によって接収、ダンス
ホールに変えられ、挙句のはてに浸水、沈座してしまった
<明治丸>!!です。
posted by SaltyFriends通信 at 22:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。