2006年07月10日

◆ 明治丸ヒストリー【5】by Qたろー ◆

《セイルトレーニングシップとして》

<明治丸>を日本に導入した伊藤博文のおもわく通り、日本の造船
・海運業は飛躍的に発達。あわせて燈台業務も合理化されるにつれ
とうとう<明治丸>にも「お役ご免」のときがやってきました。

明治29(1896)年7月。それまで所属していた逓信省から
東京商船学校(現東京海洋大学)へとゆずり渡され、以後は係留
練習帆船として、学生たちの学習、訓練の場として活躍することに
なります。

Mijimaru sailtrainig.jpg
3本マストになった<明治丸>でトレーニングする学生達
(資料提供/東京海洋大学)

係留練習帆船として使用するにあたり、商船学校ではセイルトレー
ニングシップとして<明治丸>を改造することに決定。日本にやっ
て来たころは「2本マスト・トプスルスクーナー」でしたが、改造
後は「3本マスト・シップ」(全部のマストに横帆がついた帆装)
となります。
工事はミズンマスト(後檣)をいったん撤去し、あらたにメイン
(主檣)とミズンを植えつけるような方法で行なわれました。

Meijimaru remodeling.jpg
石川島のドックで修繕中の<明治丸>の図(資料提供/
東京海洋大学)

ちなみにこの時の改造工事の責任者、緒明菊三郎は、あのマグニ
チュード8クラスだったといわれる「安政の東海地方大地震」の際
たまたま来日していて被災したロシアの帆船<ディアナ号>の
代船<ヘダ(戸田)号>の建造にかかわった方でした。
このあたり、歴史を感じますねー。

Meijimaru huella del palo mayor.jpg
<明治丸>現在の配膳室床にのこるミズンマスト跡

《<明治丸>のお引越し》

ときに東京商船学校は明治35(1902)年、霊岸島(隅田川
河口)から現在の越中島へ移転しています。それにともない
<明治丸>も、新校舎のわきに作られた校池(プールのようなも
の)に係留されることになりました。

いったん石川島のドックに入り、リフィット後の船を越中島の校地
に入れるには、当時泥地だった浅い運河を何フィートも掘り起こさ
なければなりません。なにしろその場所は、満潮時でも水深は3
フィート(1メートル弱)未満。<明治丸>の喫水は、重たいもの
を全部降ろしても11フィート(約3.5m)。
掘削工事はさながら「スエズ運河を掘るようなもの」だったとか。
ご苦労さまでした!

・・・しかしせっかく校地に落ち着いたと思ったら!!
次回は台風、そして悲惨な太平洋戦争が<明治丸>を襲います。
posted by SaltyFriends通信 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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