2006年06月10日

◆ <明治丸>ヒストリー 【4】 by Qたろー ◆

《明治丸、日本デビュー!》

明治8(1875)年1月早々(正確な日時は現在まで不明)イギ
リスのグラスゴーを出港した<明治丸>は、スエズ運河をとおり、
ほぼ2ヶ月弱かけて2月20日、横浜に入港します。
クルーは、最初の頃こそイギリスからの回航員がそのまま乗り組ん
でいましたが、国の「燈台業務船乗組員養成計画」により<テー
ボール>で訓練をうけた日本人クルーが順次、オリジナルの乗組員
たちと交代して<明治丸>の運航にあたるようになりました。

<明治丸>が横浜に到着してわずか2週間後の3月5日、横須賀
造船寮で日本海軍初「made in Japan」の軍艦<清輝>の進水式が
行なわれます。
明治天皇がこの式典に参列され、その帰路<明治丸>で横須賀から
横浜まで短い航海をなさったのが、実質<明治丸>の日本デビュー
となりました。デビューがいきなり「ロイヤルヨット」としての
航海***なんて、すごいですね。

Royal cabin.jpg Royal bath room.jpg

左:船内の明治天皇御座所
右:御座所奥にあるロイヤル・バス***


《はたらく明治丸》

<明治丸>はもともと燈台業務船として日本にやって来たのですが
新造船で船足が早い(平均速力11.5ノット)ということで、
様々な副業?もこなしています。

たとえば小笠原諸島の調査。鎖国中に少数の欧米人が定植し、領土
問題が生じたため、幕府は<咸臨丸>を派遣して石碑を建てます。
その後、この問題を解決しないまま幕府がたおれ、明治新政府は
調査・示威行動のため<明治丸>を小笠原諸島に派遣。
帰港後、政府は欧米12カ国に同諸島の直轄を宣言し、めでたく
領土問題は決着☆

それ以外にも、津軽海峡で海底ケーブルの修理作業のお手伝いを
したり、朝鮮政府との外交問題がらみで対馬まで石炭を運んだり
硫黄島の探検にも出かけたり。
紀州沖で座礁、沈没した軍艦(『雲揚』)の救援にむかい、生存者
を横浜まで運んだこともあります。
もちろん、通常の燈台業務のお仕事もこなした上でのこと。
働きモノです(^^v

Royal cabin 2.jpg

明治天皇御座所 手前の2段ベッド(ボンク)については
諸説あり。


《海の日と明治丸》

その間、明治9(1876)年には、ふたたび明治天皇座乗の栄誉
に浴します。<明治丸>船内に飾られている錦絵「函館港煙花天覧
の図」にあるように、明治天皇の奥羽・北海道巡幸の際、青森〜
函館間と函館〜横浜間の航海に<明治丸>が使われました。

このときの航海はけっこう海が荒れたらしく、船酔い者続出だった
とか…(^^;
ヘロヘロになりつつ、横浜に帰着した日は7月20日。これが昭和
16年に「海の記念日」として制定されることになる、記念すべき
<明治丸>の航海でした。

Royal cruising.jpg

錦絵「函館港煙花天覧の図」資料提供:東京海洋大学


次回は係留練習船としての<明治丸>をクローズアップ☆します。
posted by SaltyFriends通信 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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