2006年05月10日

◆ 明治丸ヒストリー 【3】 by Qたろー ◆

《明治丸誕生!》

いよいよ<明治丸>が完成間近となった明治7(1874)年8月
下旬、燈台寮雇イギリス人ブラウン船長(Captain Albert Richard
Brown)が、船の受け取り手続きや日本への回航要員の雇いいれ、
石炭・食料の買い付けなどのために、イギリスへ派遣されます。
Meijimaru, escalera.jpg
滑りどめ&消音効果の鉛板が貼ってある階段

このブラウン船長は、初代灯台業務船「燈明丸」そして二代目の
「テーボール号」の船長も歴任した、いわば日本の灯台業務船の
「ゴッドファーザー」ともいえる御仁。
工部卿の伊藤博文も、彼には絶大な信頼をおいていたようで、
ブラウン船長は工部省燈台寮の代表ともいえるほどの権限をもって
渡英しています。

そして、年も押し迫った12月30日。ロイド船級協会による船体
および機関の検査もすべて終了し、ついに<明治丸>完工***
ネイピア造船所で、生まれたばかりの美しい<明治丸>と対面した
ブラウン船長も、きっと感激と誇りで胸がいっぱいになったに違い
ありません!
Meijimaru, maqueta.jpg
建造当初は2本マストのトプスルスクーナー

《いざ日本へ》

さて、日本への回航は当初12月20日ごろとブラウン船長は考え
ていたようですが、思うようにクルーが集まらなかったようです。
最後まで欠員だった船匠、甲板手を雇いいれ、グラスゴーを出帆し
たのは、年が明けた明治8(1875)年1月早々のことでした。

出帆時のクルーは、船長をふくめ53名。国籍はイギリス人14名
オーストリア1名、マニラ(フィリピン)人38名と、国際色豊か。
でも、海のないはずのオーストリア人で船乗り…?と思いきや、
この方は調理員だったようです。航海中のメニューは、やっぱり
ウィンナーが多かったんでしょうかね?

Meijimaru, cuarto de servicio.jpg
メインデッキにある配膳室。下の丸い形は、3本マストに変更した時
移動したミズンマスト(後艢)の跡。

このときの回航を指揮した船長は、さらなる汽船の購入手配や海運
の研修などのためイギリスに残ったブラウン氏(明治8年の晩春、
再来日)ではなく、R・H・ピートルスというイギリス人でした。
彼は初代<明治丸>船長として、日本への回航後もひきつづき7年
間船の指揮をとり、その間日本人の船乗り育成に大きく貢献します。

Meijimaru, camara de marineros.jpg
船首の「火夫」(機関員)キャビン。当時は3段ベッドで21名が生活
していました。


次回は横浜到着後の<明治丸>のお仕事ぶり。バリバリ働きます!
posted by SaltyFriends通信 at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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