2010年10月10日

■□ 南十字星の下、三色旗ひるがえし   − Velas Sudamerica 2010 参加レポート - その2 by Qたろー □■

かわいいテレビや新聞のニュースなどで耳にされている方も多いと思いますが
チリ北部、サンホセ鉱山の落盤事故現場で行われていた救出作業が終了。
33人全員が無事、地上に生還されました。
本当に、ほんとうに良かった!!Viva Chile!!ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

かわいいかわいいかわいい

「2度目のチリへ」

チリの大地震から数週間。時折起きる余震のニュースにビクビクしながら、
渡航準備をすすめる。前回、2003年にチリを訪れた時知りあったビーニャ・デ
ル・マルの友人が、部屋はあるから是非、泊りに来いという。願ってもない!
元<エスメラルダ>のクルーをはじめ、チリ海軍関係の友人たちも待っていて
くれる。大方の友達とは、七年ぶりの再会だ。

往路は、アメリカのダラス経由でチリの首都、サンティアゴへ。普通、日本か
らアメリカ経由で南米へ行く場合、アメリカ国内でのトランジットだけで5、
6時間、場合によってはまる半日乗り継ぎの飛行機を待たなければならない。
ここが格安航空券のツライところ。

いっそのこと東海岸か西海岸の、海洋博物館のある都市で乗り継ぎできれば、
時間が有効に使えるかも?…と淡い期待を抱いたのだが、今回の航空会社AA
(アメリカン・エアライン)でのトランジット、ダラスは内陸部。
海ナシ州だぁ…。ちぇっ。
代理店の担当者によると、最近南米路線の便数が減ってしまい、あまり選択の
余地はない、という。

そんな訳で、今回の往路の待ち時間は、ダラスで5時間。さらにチリの首都
サンティアゴまでのフライト、10時間。トータル、日本からは26時間の旅だっ
た。前回はアメリカ国内で一回、さらにペルーのリマでもう一度飛行機を乗り
継いだこともあって、遠さをひしひしと感じたが、今回は前と比べてさほど距
離を感じなかった。これは「知っている町に行く」「待っていてくれる友達が
いる」という違いだろうか。

Santiago.jpg
首都サンティアゴの町をサン・クリストバルの丘から望む。


サンティアゴのアルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港に着くのは、たいて
い早朝になる。眠ったのか眠らなかったのか、よく分からない朦朧とした頭で
入国審査を通り、荷物をピックアップ。市内の「高速バスターミナル行き」
シャトルバスに乗って、どれどれ、と車窓から街の景色を眺めてみる。
思っていたより、道路などの復興は進んでいるようだ。傍目には、大地震が起
きたとは思えないほど、町はおちついている。

もっとも、今回の地震で震源地に一番近くて被害の大きかったコンセプシオン
とは、300キロ以上も離れているのだ。ニュースでは、空港からの自動車道が
断裂した、と伝えられていたが、拍子抜けするほど道中は、まったく問題なし。

バスを乗り継ぎ、昼すこし前、友人宅に到着した。7年振りの再会に大いに盛
り上がり、話は尽きない。が、とにかく無事に着いたことを、メールで現地の
友人たちに知らせて、ひと休み。
しかし帆船レースの参加船団は、私より数時間前にバルパライソに入港してお
り、すでに一般公開も始まっているはずだ。そう思うともう、じっとしてはい
られない。

Museo de Lord Cochrane 1.jpg Museo de Lord Cochrane 2.jpg
(2枚とも)前回の「宿題」のひとつ、コクラン提督博物館。
提督の自宅を改造して造られており、その昔は砲台としても機能していた。
現在は埋め立てが進み、海ははるか射程距離外・・・。

Almirante Cochrane.jpg
ステンドグラスに描かれたチリ海軍創設者のひとり、トマス・
アレクザンダー・コクラン提督(1774~1860)
(こちらはバルパライソ海軍海洋博物館蔵)


「入場待ちの列、2キロ!」

<エスメラルダ>のクルーだった友人が迎えに来てくれ、一緒に海軍基地内の
帆船まつり会場に向かう。滞在している友人の家があるビーニャからバルパラ
イソまでは「ミクロ」というバスで15分ほど。
前にこの『Salty Friends通信』で、初めてのチリ旅行のことをレポートした
時にも述べたが、相変わらずバルパライソのミクロは、まるでジェットコース
ターのように暴走する。座っているのに、掴まっていないとイスからころげ落
ちそうだ。変わってないなぁ;;

海軍基地内にある会場に着くと、すでに来場客でごった返していた。もう夕方
近いというのに、いっこうに人が退く気配がない。みんな、南米大陸で初めての
帆船まつりということで、興味シンシンのようだ。

日本では帆船の一般公開というと、朝10時くらいから午後5時か6時頃まで
というのが普通だが、チリでは、なんと一般客は午後11時まで入場可能である。
もっとも船によっては、早々にクローズしてしまうところもあるが、お客さんは
ライトアップした船がズラッとならんだ桟橋を、平日の夜だろうが、お構いなしに
のんびり散策している。
そういえば、夏季は日没が午後9時ごろになる地中海でも、やっとまっ暗にな
る夜10時ごろまで、帆船まつり会場に人出が途切れることはなかった。こん
な船に対する扱いの点でも、日本との差を痛感する。

会場では、まず乗船予定の<エウロパ>に立ち寄って、がっしりしたオランダ
人のチョッサー(一等航海士)に挨拶し、すでに現地入りしていることを報告
した。
今回の参加帆船の中で唯一の民間船である本船は、さすがに他の船に比べて
まったりしているようだ。みんな夕食後の自由な時間、デッキで思い思いにく
つろいでいる。トレイニーは老若男女、いろんな国籍、人種が入り混じってい
るようだが、一見したところ、若干平均年令は高めかも?という印象だった。

veleros en noche.jpg
夜の帆船まつり会場@Valparaiso


それにしても、すごい人出だ。私たちトレイニーを含め、船のクルーはパスを
見せて基地のゲートを自由に出入りできる(私はまだ乗船手続きをしていない
のでオランダの事務局から送られてきたインボイスを見せる)のだが、一般の
お客さんたちは、入場するのに並ばなければならない。

夜9時頃、ビーニャの家に帰ろうと基地からバスに乗ると、バス通り沿いに延々、
えんえん、エンエン!行列が続いている。すすす、すごい人!
このお客さん達が全部入場するのに、いったい何時間かかるんだろう??
見当もつかない。

次の朝、近所のキオスクを覗くと、メルクリオ(チリの朝日新聞?)に夕べの
帆船まつりの記事が載っていた。買ってオドロキ★なんと入場待ちの行列は、
会場の桟橋からバルパライソの中心部、ソトマジョール広場まで「2キロ」
続いたという。


「前回の宿題」

私の乗船は出航の前日で、それまで一週間ある。前回のチリ訪問で行く時間が
なかったため「宿題」にしていたところや、再会したい友人たちも数名おり、
毎日けっこう忙しい。

まずは、前回大変お世話になった、元チリ海軍総司令官マルティネス提督を
彼が環太平洋海洋文化研究所長を務める、サンティアゴのガブリエラ・
ミストラル大学に訪ねる。
数年前に咽頭の手術をなさったと聞いていたので、心の準備はしていたが、
やはりドキッとするほど痩せられており、再会の嬉しさ半面、心が痛んだ。

提督は、週の半分を前述の大学、あとの半分をバルパライソの海軍海洋博物館
で、それぞれ調査役、アドバイザーのような仕事をなさっているとのこと。私
が訪問した時は酷いカゼをひいておられたが、それでも休むことなく、ボディ
ガード兼運転手と若い看護士を常に伴って、精力的に仕事をこなしていらした。

Escuela Naval.jpg comedor.jpg maqueta de Escuela Naval.jpg
(4枚とも)バルパライソにあるアルトゥーロ・プラット海軍兵学校。
全寮制の幹部候補生学校で、20代なかばの若者達が海軍士官を
目指しながら、日々訓練と勉強に勤しむ。
左上:正面玄関
右上:士官候補生たちの食堂。夕食の準備中♪
左下:国を守るためには、まず体力!プールやジムで日々汗を流す。
右下:校内に飾られている<エスメラルダ>の模型。


今回マルティネス提督の計らいで、前回の「宿題」、バルパライソの
アルトゥーロ・プラット海軍兵学校を特別に訪問できたのは、ラッキーだった。
海上自衛隊に興味ある方ならご存知かと思うが、この学校には1968年の遠洋航
海で日本から運ばれ寄贈された、東郷平八郎元帥の胸像が展示されている。
(この前年、チリ海軍からは英雄、アルトゥーロ・プラット艦長の胸像が海自
に寄贈されている)

実は、明治生まれの私の曾祖父は海軍士官で、舞鶴の機関学校を卒業したあと、
戦艦<三笠>に乗り組んでいた。黄海海戦のあと転属になってしまったため、
かの日本海海戦には参加していない。
しかし東郷司令長官率いる聯合艦隊には、明治政府が日清戦争時、チリから購
入した防護巡洋艦<エスメラルダ三世>、すなわち<和泉>がいた。

私は個人的に、練習帆船<エスメラルダ>とチリの親睦会に所属しているのだ
が、入会したあとでこの事実を知り、<三笠>乗り組みだったうちの曾じい
さんは、つまりリアルタイムで<和泉>(=エスメラルダ三世)を見ていたで
あろうことに気づいて、びっくりしたものだ。マルティネス提督も「これは
運命の赤い糸かもね!」と笑っていらした。

7年越しの宿題、東郷元帥の胸像と感激の対面をはたし、兵学校の内部を
以前<エスメラルダ>で日本に行ったことがあるんですよ、という士官に案
内してもらう。江田島の海自、幹部候補生学校のように、構内には塵ひとつ落
ちていない。さっすが〜!

Busto del almirante Togo.jpg
日本から贈られた東郷元帥の胸像。お隣には各国の海軍から贈られた
その国の英雄の胸像が並ぶ。


「バルパライソの帆船パレード」

前回<エスメラルダ>が来日した時に、我々SFの見学会で案内役を務めてく
れた友人と再会したり、そんな調子で毎日がバタバタ慌しく過ぎてゆき、いよ
いよ「Velas Sudamerica 2010」帆船レース参加船隊の、バルパライソでの滞
在も終了。朝、帆船たちがパレードの形をとりながら出航していくのを、家の
近所の海岸から眺めることにした。

朝早くから、船団のパレードがよく見えそうな海岸の護岸壁には人が集まり、
そのお客さんを狙った売店や、大道芸人も出没している。
たまたま隣に立っていたチリ人のご夫婦と他愛もない話をしていると、ヘリコ
プターが何機も「バババ・・・」と大音響を発しながら、上空を通り過ぎていった。
「あ、大統領が到着したわ」と奥さんの方が空を見上げてつぶやく。大統領を
乗せた機体は、友人が乗艦している巡洋艦<ブランコ・エンカラーダ>に着艦
した模様。あとで、大統領がどんな様子だったか、友達に聞いてみよう。

costa de Vina.jpg La Esme contra viento.jpg Cisne Branco sin velas redondas.jpg La flota dirigiendose a Antofagasta.jpg
左上:沖を通る帆船パレードを観るため、ビーニャの海岸に集まる人々。
右上:思いっきり裏帆を打たせながらパレードの先頭をいく<エスメラルダ>。
左下:諦めて縦帆以外の帆を畳んでしまったブラジルの<シスネ・ブランコ>。
右下:船団はチリ北部の港、アントファガスタへ。追っかけるから、待っててね!


しばらくすると、パレードが始まった。折悪しく真正面からの向かい風に、
思いっ切りセイルに裏帆を打たせながら、各船機走でバルパライソを出港し、
我々が立っているビーニャの海岸沿いに北上していく。なるべくお客さんに
近いところで見てもらおうと、頑張っているのだろう。各船とも座礁しないか
こちらが心配になるくらい、目いっぱい海岸沿いに寄って走っている。

船団が次に向かう港はチリ北部の町、アントファガスタだが、私が乗船する
<エウロパ>だけは、いったん出港した後、バルパライソで乗船する私たち
トレイニーを拾いに、夕方前に帰港することになっている。一日<エウロパ>
は、どのへんをブラブラしてるのかなぁ?事情を知らない人が夕方、港に帰っ
てくる彼女を見たら「あれっ!?」と思うに違いない。

ちょうど目の前を<エウロパ>が通り過ぎていく時、隣のご夫婦に「あの船に
これから乗って、航海しながらエクアドルまで行くんですよ」と言うと「日本
からわざわざ?」「マストに登るですってぇ?信じられない!!」と驚かれた。

練習帆船の多い中南米諸国ではあるが、その帆船はみな海軍所属。経済状況は
改善しているとはいえ、まだまだ貧富の差が歴然としているこちらの国々では
別な意味で「セイルトレーニング」は、やっぱり馴染みが薄いものなのだな、
と複雑な思いだった。


一応「航海記」のはずなのに!?(^^;
次回こそ乗船します!(Q)
posted by SaltyFriends通信 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。