2009年06月10日

■□ よろず帆船人突撃インタビュー 〔34〕 日本郵船歴史博物館 館長代理 野崎利夫さん ■□

横浜開港150周年記念イベントのひとつとして来航した、長崎ハウステン
ボスの外輪船<観光丸>(第二期『黒船体験ツアー』は、6月13日(土)
〜6月26日(金))。
<観光丸>といえば思い出すのが、もうひとつの復元帆船<咸臨丸>ですが
資金難のため、数年前マレーシアに売却されてしまったこの帆船を、オラン
ダから回航した時のキャプテンが、今回ご紹介する野崎さんです。

Kanrinmaru.jpg
日本へ向かって航海中の<咸臨丸>(写真:野崎さんご提供)


実は野崎さんは、かの有名な豪華客船<飛鳥(初代)>の船長を、12年も
のあいだ勤められた、国際的にも知名度の高いキャプテン。現在は横浜の
「日本郵船歴史博物館」の館長代理をなさっています。

野崎キャプテンのあふれる知識と経験とユーモアで、笑いっぱなしのインタ
ビューの雰囲気が、皆様にも伝わるでしょうか?



お名前:野崎利夫さん
御生年:昭和16(1941)年生
鳥羽高等商船学校卒業後、日本郵船入社
昭和62(1987)年船長

豪華客船<飛鳥>船長として、世界一周航海を5回(!)、航走距離は
なんと地球を24.5週(!!)
船乗り歴41年の、野崎さんのモットーは「Happy Crew, Happy Ship, Happy
Passenger」

以下野崎さん:TN(敬称略)
Salty Friends:SF


SF:子供の頃の夢は?また何故船乗りになろうと思われたのですか?

TN:実はパイロットになりたかったんですが、あいにく身長が足りなく
   て(笑)。中学生の頃、海員学校に行きたいと担任の先生に相談した
   ら、一言「やめとけ」って言われましたね。
   パイロットも船乗りも、なりたいと思った理由は単純で、外国に行き
   たかったから。

SF:船以外になにかご趣味はお持ちですか?

TN:う〜ん、ないなぁ。船が趣味であり、人生です。(キッパリ)

SF:おぉ、なんだか格言のようなお言葉ですね!
   ではここで、野崎さんが乗っていらした復元帆船<咸臨丸>について
   伺います。

   まず、プロジェクトに携わることになった経緯を教えて下さい。

TN:当時の長崎オランダ村が、帆船に青少年を乗せてクルージングしたい
   と発案し、そこに日本郵船が同調したのが始まりです。
   その時私は陸上勤務だったんですが、船長をやれと白羽の
   矢が立ちまして。・・・理由?ヨットに乗ってたからかなぁ?
   
Capt Nosaki 2.jpg Kanrinmaru 1.jpg
今も昔もスリムな野崎キャプテン(左)
映画のワンシーンのよう****(右)(写真:2枚とも野崎さんご提供)


SF:<咸臨丸>の、ここが自慢!というポイントはありますか?

TN:とにかく丈夫。壊れない!(笑)どんな大時化に遭っても大丈夫でし
   たね。あとサイズの割には、居住性がいい。
   逆に残念なところは帆走性能。現代の海を、合法的に航海するために
   つけなければならない艤装品のせいで、犠牲になったというか。当時
   の図面通りに建造していたら、もっと性能が上がっていたと思うんだ
   けど。でもそうすると航海できないから(笑)。

SF:それは仕方ない部分もありますよね。では<咸臨丸>の航海で、最も
   印象に残ったことはなんでしょう?

TN:やはりオランダの港を出てすぐに遭遇した大時化ですね。本(注)に
   も書きましたが、周りで<咸臨丸>よりもっと大きい船が何杯も遭難
   してる海で、まともに食事も作れないし、食べてもいられない。だっ
   て45度まである傾斜計が、しょっちゅう振り切れるんだから!
   ご飯を炊くお釜の中まで大時化になっちゃうんで、当時の司厨員の
   永江くんは、水平を保つために炊いてる間中、お釜を抱えてたんですよ。
   
   ご存じだと思うけど、その時化の直前に、フィギュアヘッドまで落っ
   ことしてね。地元の漁師の網にかかって出てきたというニュースは
   BBCでも流れたんだけど、あれも忘れられない出来事ですね。

SF:私も『帆走27000キロ』は拝読しました。ほんとうに、よくぞご無事
   で…という感じです。
   では今の野崎さんにとって<咸臨丸>での航海とは、なんでしょうか?

TN:私が<咸臨丸>の船長を努めたのは、オランダから日本への回航と、
   その後国内を一般公開をしながら、ぐるっと回った期間だけ。そうい
   う意味では、<咸臨丸>は自分の船というより「借り物」という感じ
   でしたね。
   ただ、間違いなく私の船乗り人生のなかで、重要なひとつのステップ
   になりましたし、生涯忘れられない強烈な思い出です。

Capt Nosaki 1.jpg
ハワイを出てから釣れた、待望のカジキマグロ!(写真:野崎さんご提供)


SF:なるほど〜。ではせっかくの機会ですので、帆船ではありませんが
   <飛鳥(初代)>についても少し伺わせて下さい。<飛鳥>では12
   年船長をなさっていたわけですが、一番印象に残った航海は、どんな
   クルージングですか?

TN:南極〜南米のアマゾン航海で、マナウスというところに入った時。
   まわりはジャングルと海だけ。そんなところで何かあっても、助けは
   呼べないし、呼んでもすぐには誰も来てくれません。自分一人の肩に
   900人からの命が掛かっていると思うと、緊張しましたねぇ。

SF:聞いただけで汗がでますっ。ちなみに両方ご経験なさった野崎さんだ
   からこそ伺いたい質問を。
   大型帆船と豪華客船、どちらがより大変ですか?

TN:船長としてだったら客船。船として大変なのは帆船。
   操船、風や気象の読み方、メンテナンスなどは、帆船の方がずっと
   大変です。

SF:では、帆船を使ったセイルトレーニングについては如何思われますか?

TN:日本郵船では、新入社員の研修に<海王丸>や<あこがれ>を利用し
   ています。帆船で航海するトレーニングは、人間としてベーシックな
   部分を鍛えるのに、とても効果があると思う。
   万一練習帆船を無くす、なんて話しになったら大反対です。

SF:最後にSFにメッセージをお願いします。

TN:船にはいろんな乗り方があります。自分のムードにあった、それぞれ
   の楽しみ方で乗ってみて下さい。また帆船は、客船に比べて「海に近
   い」。それだけでも楽しいものです。船酔い、大いに結構!

船酔いは嫌です〜(笑)。貴重なお話を、どうも有難うございました!
(インタビュー:Qたろー)


(注*野崎キャプテンの御著書『帆走27000キロ 新生咸臨丸航海記』,
1990,ダイヤモンド社)

Mr. Nosaki in NYK Museum.jpg NYK 1.jpg NYK 2.jpg
日本郵船歴史博物館にて。片面ずつ、表と裏で違う船を展示(右上)
貨物船も綺麗***<加賀丸>

「ミナトに響いたJAZZと汽笛展」開催中!詳しくは、日本郵船歴史博物館HPで☆
posted by SaltyFriends通信 at 09:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
野崎キャプテンが、7月4日逝去しました。
67歳という年齢の、早すぎる死が、とても残念でなりません。
心から哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈り致します。
Posted by とーます at 2009年07月08日 20:23
<とーます様

こんにちは。コメントを有り難うございました。
私も4日に野崎さんの訃報を聞き、愕然としております。5月にインタビューさせていただいた時は、若干咳をなさっていたものの、相変わらずハツラツとしたご様子だったのに・・・。入院なさったと思ったら、あっという間に逝ってしまわれました。

野崎さんとはヨット仲間で、毎月江ノ島でクルージングをご一緒させていただいておりました。もうあのお声が聞けないかと思うと、寂しくて寂しくてなりません。
Posted by Qたろー at 2009年07月10日 10:29
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