先月発売された『トマス・キッドシリーズ』第7巻。皆様もうゲットされま
したか?
今回、キッドはとうとう艦長に昇進。イギリス海軍に強制徴募された第1巻
からずっと愛読なさっている方の中には「あぁ、ここまでよく頑張ったね」
と、思わずPTA気分?になられる方もいらっしゃるのでは・・・(^^;

さて、この『キッド』の翻訳家大森洋子さんが、先月から当メルマガに特別
寄稿文をよせて下さっており、今回はその2回目です。
『キッド』原作者のジュリアン・ストックウィン氏とその奥様キャシーとの
交流、彼の人柄や生活風景、バックボーンなどを知ることにより、作品に対
する理解がより深まること請け合いです!

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「わが著者とイギリス港町デート」 第2回 
 
 ★添付写真すべて大森洋子さんご提供★


◇敏腕編集者◇

 結婚して以来、キャシーはジュリアンからしょっちゅう海や船の話を聞い
ていた。船のことなどまったく知らなかった彼女は、未知の世界の話がおも
しろくてたまらなかった。五十をすぎて自分に合わない仕事のストレスに悩
む夫を見ながら、彼女の編集者魂がうごめいた。彼女はジュリアンのなかに
「海の壮大な物語がある」そう見ていたのだ。

 小説など書いたことのないジュリアンは尻込みした。キャシーは彼の大き
なお尻を叩いた。キャシーもまた大柄な人だ。彼女の迫力がジュリアンを押
した。パートタイマー教師として大学でコンピューターを教えながら、
ジュリアンの資料作りが始まった。
 始めてみると、彼のなかに海軍時代の日々がよみがえってきたーー静かな
海面に揺れる月の光の帯、夜闇の奥から聞こえる当直者の報告の声、何ヶ月
も海ですごしたあとの豊かな土の臭い、檻から抜けだした野獣が吠えるよう
な嵐の海……。

 
左:帆船のステンドグラスが可愛い!!フォイの街で
右:ホーサー(太索)が細く見えます(^^;<Earl of Penbroke>の船首に
  立つジュリアン・ストックウィン氏
  
 
 ジュリアンは海軍を書くことにした。蒸気機関が発明されるまえ、人びと
が海をもっとも敬愛していた帆船時代、その絶頂期であるネルソン提督の時
代を。主人公は自分とおなじく水兵から身を起こして提督まで出世する……。
三年半後、二人は第一巻を手に著作権代理人のキャロル・ブレイクを訪ねた。

 ロンドンでわたしはキャロルに会ったが、彼女は二人に初めて会ったとき
のことをこう言った。「シリーズの二、三巻の構想を練ってくる作家はいる
けど、ジュリアンは十一巻ぜんぶの構想を綿密に作りあげてきたの。そんな
作家に会うのは初めて。わたしは『ホーンブロワー』も読んだことがなかっ
たけど、『キッド』の第一巻を読んだとき、わたしのなかでたちまち海の風
が吹き、波の音が聞こえてきたわ」

 こうしてジュリアンの処女作は世に出た。キャロルはこうも言った。「奥
さんがマネージャーだと、うまくいかないことが多いのよ。奥さんが勝ちす
ぎて。でも、キャシーはほんとうに優秀なジュリアンの編集者でありマネー
ジャーよ」
 プリマスの海をながめながら話しこむジュリアンとわたしへ、キャシーの
声が飛んだ。「さあさあ、二人とも、ランチの時間よ!」

 
若者を対象にしたセイルトレーニングシップ<Friends of Hardiesse>
(2枚とも)


「あと五分、ヨーコにあそこが見せたいんだ」と、ジュリアン。
 彼が連れていってくれたのは、海に面して建てられた大きな石造りの門
だった。ここから一六二〇年、ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号
で新世界へと出発したのだ。

 「ジュリアンはヨーコと船の話をするのが好きなのね」と、キャシーは笑
う。彼女の手には今日のスケジュールを分刻みで書いた紙が握られている。

 すばやく彼女はスケジュール調整をする。長年、編集者としてキャリアを
磨いてきた彼女は、人の心の機微もきちんと読みとるのだ。こんな具合に彼
女はジュリアンのすべてのマネージメントを行っている。エージェントとの
交渉も、講演会の準備も、取材旅行の手配も。わたしにもこんな奥さんがい
たらいいのに、と思うほどキャシーは有能だ。さらに驚いたことが翌日ふた
りの家を訪ねると、待っていた。

 
左:思わず泊まりたくなっちゃう!?THE SHIP INN
右:フツーに帆船がうじゃうじゃいる船溜まり。チャールズタウン


◇夫婦二人三脚◇

 処女作が大ベストセラーとなって、パートタイマー作家からフルタイム作
家に脱出した二人は、都会に住む必要がなくなった。それまで住んでいた
ロンドン郊外からこのアイビーブリッジの家に移った。なんと築二百年。愛
称は「コリント邸」。
 二階の仕事部屋へ行く途中、階段の床板の割れ目から下の地面がのぞいて
いた。この石造りの古い家を見たとたんに二人とも一目惚れして購入したそ
うだ。住みながら、徐々に改築していくつもりだと言う。古ければ古いほど
いい、というイギリス人ならではのことだ、とわたしは感心してしまった。
引っ越した際に、マイカーも捨てたそう。

 ジュリアンの仕事部屋は意外に小さく、壁際にデスクがあって、コン
ピューターが一台、置いてある。彼はその前にすわると、画面に現れたたく
さんのファイルのなかから”セイル”の項目をクリックした。さらに小さな
項目をクリックすると、「5・152・18」と数字が出てきた。彼はくる
りと椅子をまわすと、背後の本棚に並んだ本のなかから五番目の本を引きだ
して、百五十二ページを開いた。すると、十八行目に求める情報があった。

 三年半かけて、彼は思いつくすべての項目に関してこうして”マイ・ファ
イル”作りをしたという。さすが元コンピューター・マン! ソフトウェア
を作るのと小説を書くのはまったく違う世界のこと、とわたしは思っていた
が、彼に言わせると「似ている」のだそうだ。

 「またコンピューターの世界に戻りたいですか」と聞くと「真っ平ごめん」
と即座に答えが返ってきた。
 執筆や取材にIT器機を駆使する彼だが、仕事に入るまえにはCDでカモ
メの鳴き声や帆の音を聞き、タールのしみこんだロープの臭いを嗅いで十八
世紀へと戻っていく。


大森さんが今回投宿したホテルから見下ろしたフォイの海。右手の入り江の
奥がチャールズタウン。


 廊下をへだててキャシーの部屋がある。ジュリアンは調べてほしいことが
あると、インターコムで彼女を呼びだす。十八世紀の衣類と食事の調査は彼
女の役目だそうだ。
 そのうえ、ウッブサイトも彼女一人で作り、月に一度はニュースレターま
で配信している。ジュリアンは執筆だけに没頭できるというわけだ。「キャ
シーはぼくの秘密兵器。彼女がいなかったら、一冊書くのに今の二倍は時間
がかかるだろうな」と彼も言う。ほんとに驚くべきスーパーウーマンだ。わ
たしには二人が一人の著者に思えてきた。

 ランチタイムには、キャシーはわたしがプレゼントした和模様のテーブル
マットをさっそく使い、キャンドルを立てて、すてきな食事をご馳走してく
れた。ジュリアンも彼女は料理がうまいと褒める。心配なのはただ、彼の胴
回りがさらに太くなることだが……。


来月号に続きます!


『キッド』7巻は、こんな表紙です。
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