2008年09月10日

■□ 船長の見たペリー艦隊 ☆その1・「ペリー提督横浜上陸の図」☆ By大河原明徳さん □■

来年は横浜開港150年で、あちこちに「ペリー提督」「黒
船来航」のポスターやパンフレットをみかけますが、そこで
使われている図で最も多いのは「ペリー提督横浜上陸の図」
でしよう。

青空をバックに米国の水兵、将官が全員、青と白の制服、制
帽で整列しており、一見、それから開始される日米修交条約
を祝う穏やか、且つ華やかな景色に見えます。しかし船長で
あった私は、その絵はなにか変だと感じました。

ペリー上陸の図.jpg
横浜開港資料館所蔵「ペリー提督・横浜上陸の図」
ハイネ原画による石版画


変なのは、沖に泊まっている船の格好なのです。8隻の船
(蒸気機関付3隻、帆船5隻)が全部横向き、しかも4隻は東
に向き、4隻は西に向いている。海上の船やボートの旗は、
北向きの風であることをしめしています。

普通、船は錨泊しているときは船首を風上か、潮の流れてく
るほうに向けるのに、この絵はおかしい。
その理由はきっと次の三つのうちのひとつでありましょう。     
 
@絵を書くときたまたま全船横になった。
A絵を描いた人が船を描くのに横からの絵が得意で、ほかの
 方向からの絵は好きでなかった。(しかしこの絵を描いた
 のは従軍絵師のハイネというプロの絵描きで、そのときの
 情景を正しく書くのが彼の仕事のはずです)
B風が船を横にするように吹いた。(だけど同じ港の中で
 西風と東風が吹くのはおかしい?)

そこでペリ―の日本遠征関係の資料を調べてゆくと、ペリー
の米国政府への報告書に「提督は上陸に先立ち17発の礼砲の
なかを将官艇に乗り移り、さらに海岸にあがるときには28艘
の大型ボートに据え付けた真鍮の12ポンド砲から、将軍に
21発、林首席委員のために17発の礼砲をうった」とありまし
た。

そして日本人の絵師が描いた「米利堅人応接之図」という絵
で、そのボートからの礼砲斉射の様子もわかりました。火薬
の煙がもうもうとたなびき、それを見た日本人は相当びっく
りしたに違いありません。
その絵から私なりに類推すると風は北、風速は5〜6メート
ルとみられ、その風なら錨泊している船は全部北をむくはず
です。

kusu.jpg
ペリーの上陸をリアルタイムで見ていた!「たまくす」の木
の子孫。大火、震災をくぐり抜け、横浜開港資料館の中庭に
今も濃い緑の陰を落としています。


そこで私が気がついたのは、ペリーが打ったのは祝砲では
ない、脅かしだ、恫喝だ、砲艦外交そのものだ、ということ
です。
帆船軍艦は砲戦のときBroadside(片舷斉射)といって、相手
に横腹を向けるようにします。それは砲門が横についている
からです。

そう考えてみると船が全部横になっているのも分かりますし、
500人もの海兵隊員が完全武装で並んでいたわけも分かっ
てきました。
黒船来訪は日本人を恐怖におとしいれましたが、アメリカ人
にとっても日本への上陸は怖かったにちがいありません。
船乗りなら、キヤプテン・クックやマゼランのように原住民
に殺されるかもしれないと考えても不思議ではありません。

そこで船長として次の疑問が湧いてきました。それはいかに
して、錨にかかっている船を風に横にして置けたかです。
来月のSaltyfriends通信までにその方法を考えることにし
ますので、皆様も一緒に考えてください。
                    Captain 大河原
posted by SaltyFriends通信 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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